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東日本大震災後の日本政府と政財界・メディアの対応について(その1) 【ファイルE32】2013.06.07 

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【ファイルE32】2013.06.07 東日本大震災後の日本政府と政財界・メディアの対応について(その1)

東日本大震災を利用して、一儲けしようとするニューヨーク・ウォールストリートのグローバル資本と、それに呼応して、日本を売り飛ばそうとする日本政府と政財界・メディア。

 
 これまで、25回に亘って、TPP日米事前協議合意に関する記事を書いてきました。その1~4は資料集なので、 その5から読まれる方はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/54126347.html
 
 今回の記事は『TPP日米事前協議合意に関する記事』と密接な関係があるのです。

 表題の件について、まず、アメリカ(特にリーマン・ショック以降のウォール街の経済戦略とTPPのもつ意味)との絡みを交えながら、時系列的に追っていきたいと思います。

 

まず、東日本大震災に対する日本政府の対応について理解するには、『東日本の農漁業の息の根を止めるTPP』についての概略、経緯に先に触れなければなりません。


 2008年2月4日、アメリカ合衆国通商代表部(USTR)のスーザン・シュワブ代表(当時)は、アメリカがシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドといった小国4か国で構成されていたにすぎないTPPの交渉に参加すると表明し、世界を驚かせました。

 驚きと言っても、WTOの多国間交渉が停滞したため、2国間協議であるFTAに切り替えたアメリカがどうしてまた、小国の取り決めであるTPPなんだと怪訝に思ったぐらいのものだったのですが。


2008年9月15日リーマン・ショック(Lehman Shock)。アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズが破綻。これが世界的金融危機(世界同時不況)の大きな引き金となったことからリーマン・ショックと呼ばれています。



2008年9月22日=リーマン・ショックからわずか1週間後に、


アメリカ合衆国通商代表部(USTR)のスーザン・シュワブ代表は、TPP原加盟国4か国(P4)の代表と共に交渉するとの声明を出し、アメリカはTPPに最初に追加された交渉国となりました。アメリカは既存の22の部会に投資と金融の2部会を追加しました。

↑つまり、リーマン・ショックで本来なら金融が暴走しないように規制を強化しなければならないまさにその時に、

アメリカ通商代表部は小国4カ国で構成されていたTPPに乗り込み、投資と金融の2部会を追加し、アメリカが、IDS条項で、アメリカの企業が外国の子会社経由でアメリカの規制強化反対の提訴できるTPP交渉参加の声明を発表するという、全く反省の色が無いどころか、さらにリーマン・ショックに便乗して、好き勝手ができるように次の手を打ったということです!

つまり、リーマン・ショックでグローバル資本が低所得者を騙した計画的で悪質な大規模詐欺=サブプライムローンの実態がバレたので、そのための政府による監視・規制強化が必要な時に、アメリカ通商代表部は“規制緩和のための策”を講じたのです。

まあ、提案したアメリカ通商代表部(もちろんウォール街の息がかかっている)もアメリカ通商代表部なら、それを許した大統領も大統領だし、アメリカ国民もアメリカ国民なのです。本当に気は確かか?と疑ってしまいます。


また、リーマン・ショックで深刻な不況に陥ったアメリカは、2010年1月、5年間で海外輸出を二倍に増やすとする輸出倍増計画を立案し、オバマ大統領は一般教書演説でそれを公にしました。輸出促進関係閣僚会議がこの計画の為に纏めた報告書では、「アメリカの経済的利益の増進を図る手段と輸出拡大のツールを生み出す」として、TPPの実現を明記しているとしているということです。


アメリカの海外輸出を2倍にするということは、すなわち日本を含め他の国が輸入を増やさなければなりません。ただでさえ不況で物が売れずに余り、デフレで物価が下がり、失業者が溢れている時に輸入なんか増やしたら、ますます物が余って、デフレ・失業が深刻化するに決まっています。


2010年10月8日、TPPのなんたるかも分かっていない菅直人首相(当時)は、『なんにせよグローバル化は良いことだ』というイメージだけでTPP交渉への参加を検討し、アジア太平洋自由貿易圏 (FTAAP) の構築を視野に入れ、APEC首脳会議までに、経済連携の基本方針を決定する旨指示しました。まさに、カモがネギしょってグローバル資本の元へのこのこやってきたのです。

 これについては、沖縄普天間基地移設問題で『最低でも県外』という、誰が考えても不可能なことを公約し、政権を奪取した鳩山民主党が、案の定失敗して無用な混乱を招きアメリカ様に迷惑をかけた失点を取り繕うために、アメリカとTPP参加の密約を行ったのだという説もあります。一番迷惑を被ったのは、沖縄県民なんですけどね。

2010年10月19日、前原誠司外務大臣は日本経済新聞社と米戦略国際問題研究所(CSIS)が共同主催したシンポジウムで、国内総生産(GDP)構成比1.5%の農漁業を守るために、残り98.5%を犠牲にすべきではないとの認識を示します。つまり、前原誠司外務大臣は、農漁業は日本の為に犠牲になれ!ましてや農漁業従事者が多い東北なんかは見捨てても良い!という考えを披瀝したのです。

米戦略国際問題研究所(CSIS)というのは1964年に設立された保守系シンクタンクで、2000年より元アメリカ合衆国国防副長官のジョン・J・ヘイムリが同研究所所長最高経営責任者の椅子に着いていることからも分かるように、手っ取り早く言えば、ウォール街のグローバル資本家が戦争(経済戦争含む)で儲かるように、政府に入れ知恵をする機関です。そんな場にのこのこ出かけていって、日本の農漁業はお国のためにTPPの犠牲になるべきだと一席ぶったのですから、お目出度いにも程があります。

2011年11月13日、菅首相は2010年日本APECにおいて、交渉参加に向けて関係国との協議に着手することを正式に表明します。


2011年(平成23年)3月4日、前原誠司外務大臣は、参議院予算委員会において、自民党の西田昌司議員からの質問により、前原氏本人の発言から、前原氏が京都市内の在日外国人(後日、韓国籍の女性であることが報道される)から政治献金を受け取っていたことが判明し、3月6日前原氏は外務大臣を辞職。

つまり前原誠司外務大臣は、在日外国人の利益は護っても、日本の、そして東北の農漁業は見捨ててかまわないという人なのです。

2011年3月11日、菅直人首相にも外国人献金問題が持ちあがり国会で追及されるはずだったまさにその日。



2011年3月11日14時46分に東北地方太平洋沖地震が発生。津波による被害も甚大で、福島第一原発事故も発生します。



菅首相は、震災発生の翌3月12日に自衛隊の派遣規模を2万人から5万人に拡大するよう指示し、3月13日には、首都直下地震への対処計画を基に、自衛隊史上最大となる陸海空あわせて10万人規模の災害派遣を指示し、更に5日後の18日には10万人を超える態勢となり、最大時で約10万7千人規模の派遣を行いました。指示された方は、数が増える度に部隊配置の組み直しです。このような派兵の逐次投入(ちくじとうにゅう)は災害時の救出作戦では一番やってはならないことなのです。

3月12日午前3時、東京電力からの、1号機の格納容器の破裂を避けるために炉心から大気中への排気を行い、原子炉格納容器の内部圧力を下げるベント作業の実施の依頼に対して、官邸は東京電力に、枝野官房長官(当時)らが、“緊急を要するベント作業”なのにもかかわらず、国民に広報するまで待つことを指示した上で、許可を出します。

本来なら本部に詰めて情報収集して指示を出すべき菅直人首相自身が、突如職場放棄し、ベント実施に平行して事故現場の福島第一原発を視察することを決定し、同日7時11分、状況把握のため事故現場にカメラマンなどを引き連れて現場視察をします。その際、その時間までにまだ、ベント操作が行われなかったため!!!!直接ベントを指示しました。

しかし、操作マニュアルの不備や、高濃度の放射線に現場が汚染されたこと、菅直人首相の視察により現場の対応に時間がとられたこともありベントの作業は難航し、同日14時30分にようやく実施されました。

この点について、野党は、菅首相が震災翌日に福島原発を視察する『政治的パフォーマンス』を行ったことで現場が混乱し、視察に人員を割かれ、事故対応の初動に遅れが生じ被害が拡大したと批判しました。

なお、東電の記録などによると、菅首相は東電の幹部に対し、「60(歳)になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く」「撤退したら東電は百パーセントつぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ」などと、怒鳴り散らし恫喝していたそうです。


2011年5月17日、政府は東日本大震災後の経済政策方針をまとめた「政策推進指針」を閣議決定し、TPP交渉参加の判断時期を当初の6月から先送りしました。この時は、東日本の農漁業の被害が甚大だったため、東北の農漁業の息の根を止めるTPPの日本参加の話は立ち消えになると、TPPについて知っている人達は誰しも思いました。


2011年9月17日"We are the 99%"のスローガンのもと、『ウォール街を占拠(せんきょ)せよ(Occupy Wall Street)』の行動のが始まります。

"We are the 99%"は、1970年代から、アメリカ合衆国において上位1パーセントの富裕層が所有する資産が増加し続けていることを批判したもので、11月15日(60日目)までウォール街が占拠され、やがてこの運動は世界的広がりをみせました。

Occupy Wall Street運動では、主として以下の要求が掲げられました。

政府による金融機関救済への批判

富裕層への優遇措置への批判

グラス・スティーガル法改正による金融規制の強化

高頻度取引の規制

↑しかしながら、TPPのISD条項によって、アメリカの資本家が海外の子会社経由からのアメリカの州・政府を提訴し、アメリカの金融規制が緩和することができるTPP締結反対は要求にもりこまれていません。

上記の要求はTPPの締結によって骨抜きにすることができるのです。ウォール街のグローバル資本家の連中は良いガス抜きができたと、さぞかし、ほくそ笑んでいたことでしょう。



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