【ファイルT192】2013.06.09 福沢(澤)諭吉さんの生誕地跡だよ
一万円札のお顔の人は大阪生まれだったんだね。
福澤諭吉さんと言えば、慶応義塾大学を創設し、近代文明の移入を精力的に行い、文明開化に大いなる貢献をした、言わずと知れた日本の大偉人です。 日本の近代制度について、大抵のものは福澤諭吉さんが移入しています。
だから一万円札にも肖像が描かれています。
福沢諭吉さんの生誕地の場所については、ネットで調べても今ひとつ分からなかったのですが、見当を付けて行ってみたらば、ABC大阪朝日放送の新社屋の南側なので簡単に見つかるのでした。
碑の背後のモダンな茶色のチェックの建物が、ABC大阪朝日放送の新社屋です。
朝日放送が来る前は、ここの土地は大阪大学医学部付属病院だったようです。
大阪朝日放送と言えば、支那のチベット大弾圧の際に、その事実を穏便に伝えることに躍起となっていた他局を尻目に『ムーブ』という番組で詳細に報道したという朝日系にしては珍しく優秀で良心的な放送局で、私の記事でもYOU―TUBEの動画を紹介した記憶があるのですが、『ムーブ』は大好評だったのに、突然打ち切られたそうです。
どうせ、支那の大使館からの圧力でしょ?しょせん朝日は売国朝日だったのです。
売国放送局の前に、『一身独立して一國獨立(一国独立)する事』を訴えた諭吉さん生誕の地の石碑があるのは、強烈な皮肉です。
諭吉さんは、ここ中津藩大阪蔵屋敷の長屋に生まれたのですね。『豊前國 中津藩蔵屋舗之跡 大阪堂島 玉江橋北詰
従是江戸迄 海路二百四十八里 陸路百三十三里』
従是江戸迄 海路二百四十八里 陸路百三十三里』
東京の施設、大学や公園は大名屋敷の跡地というのが多いのですが、大阪の施設は豪商の邸宅や蔵屋敷の跡というのが多いのです。
それでもって、江戸時代の経済の中心というより、当時世界でもトップクラスの経済都市大坂に生まれたから、合理的な思考ができたのですね。武士階級と行っても、蔵屋敷に育ったなら、実践的な経済感覚は身についているはずです。
さらに諭吉さんは、大坂の適塾(てきじゅく)で緒方洪庵(おがたこうあん)の下で学びます。
こんな石碑が建てられています。
『天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ 人ノ下ニ人ヲ造ラズ』だって!
うへえ、間違っているよお!諭吉さんはそんなこと言ってないよお!
これだと、『人類は皆平等』ということになって、『学問のすすめ』じゃなくて『平等のすすめ』じゃないのさ!
福澤さんはこう言ったのです。『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり(言えり)』
最後の“言えり”を抜いたら、意味が逆になっちゃうよお!
“言えり”の後に『学問』を『すすめ』る理由が縷々と述べられているのです。
冒頭の部分を、私が勝手に分かりやすく今の言葉で大胆に意訳すると、 ※ ※ ※
『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と人類はみんな平等だって言われているねえ。
これは、人はおぎゃあと生まれたときはみんな同じで、その時点ではお金もちとか貧乏とか、身分が上とか下とか関係ない、ただの赤ん坊で、成長して行くにつれて万物の霊長である体と心でもって、自然界のいろんなものを利用して、衣食住を満たして、自分の思うがままに、お互いに他人の邪魔をしないで、人それぞれ、のんきにこの世を渡っていくように、天の計らいがあるという意味なんだねえ。そりゃあ大いに結構なことだねえ。良かった良かった。
だけど、今、この人間世界をぐるっと眺め渡してみると、そんなことないよね?
賢い人も、愚かな人も、貧しい人も、お金持ちも、高貴な人も、身分の卑しい人もいて、その有様って言うのは、雲泥(うんでい)の差だっていうのは一目瞭然じゃない。
これって、どういうことなのさ! その理由はとてもはっきり分かるよね。
『実語教』というご本に、『人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり』つまり、人は学ばないと智恵が身につかないし、智恵が身についていない人は愚かな人だって書いてあるねえ。
だから、賢い人と愚かな人という差は、学ぶと学ばないかによって、出てくるんだねえ。
それから、世の中に難しい仕事や簡単な仕事があります。
その難しい仕事をする人のことを『身分が重い人』と呼んで、簡単な仕事しか出来ない人を『身分が軽い人』と呼ぶんだねえ。
頭を使って考えないといけない仕事は難しくって、単純に体をつかう力仕事は簡単なんだねえ。
だから、ただ横でしゃべるだけだけど、頭脳労働をする市川染太郎師匠の方が、肉体労働で汗を流しながら傘の上で升(ます)をぐるぐる回す、ますますお目出度い肉体労働の染之助師匠よっか偉いんだねえ。
ということで、お医者さんや、学者さん、政府のお役人、あとは大きな商売をするお商売人、沢山の奉公人を働かす豪農と呼ばれるようなお百姓さんなんかは身分が重くて貴い人だって言うことができるのです。
そういった意味で、身分が重くて高貴な人は、自然にお金が儲かって、庶民からみたら、とてもじゃないけど、かなわないなあ、高嶺の花だなあって思うけれど、もともとそれは何故かって考えたらば、結局の所、ただ単にその人に学問の力があるかないかということによってその違いが出来ただけで、予めそういう運命でそうなったということじゃありません。
こういうことわざがあります。『天は富貴(ふき)を人に与へずしてこれを其人(そのひと)の働(はたらき)に与(あたふ)るものなり』って。
つまり、『天は、富や高貴な身分を人に与えるんじゃなくて、その人が努力するかどうかで人生は決まっていくんだよ』っていうことだねえ。
だから、さっきも言ったとおり、人は生まれつき、貴いとか卑しいとか、貧しいとかお金持ちだとか決まっているんじゃないんだねえ。
ただ、一生懸命お勉強をしてひたすら学問を修得して、物事をよく知る人は貴くて、お金持ちになって、学問がないひとは貧しくって、身分が卑しい人になるんだねえ。
※ ※ ※(引用現代大胆意訳終わり)
福沢諭吉さんは、『人の生まれつきは平等だというけど、勉強するかしないかで、身分や収入に差が出てくるから、みんな一生懸命学問をしましょうね』って言っているのです。
第一、『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』で、人はみんな平等なら、なにも苦労して勉強しなくてもいいじゃない!
そもそも、『天は人の上に人を造らず』という思想は、福沢諭吉さんが発明したオリジナルではなく、トーマス・ジェファーソンによって起草されたといわれる1776年のアメリカ独立宣言にある『全ての人は神から平等に作られている・・・(All men are created equal・・・)』を諭吉さん流にアレンジした言葉だといわれていて、そういう当時流行していた天賦人権思想(天は人に平等の権利を与えたとする思想)から出発して『学問の重要性』に論を発展させたことが福沢諭吉さんの真骨頂なのです。
ですから、福沢諭吉翁の顕彰碑に文字を刻むなら、
『人は生れながらにして貴賎貧富(きせんひんぷ)の 別なし。唯学問を勤(つとめ)て物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。』
にするか、ただ単に、
『学問のすゝめ』福澤諭吉翁
とすれば良いのです。 『福澤諭吉誕生地』の石柱の下にある碑文はこう書いてあります。
幕末明治の大教育家福澤諭吉先生こゝに生る 時に天保五年十二月十二日(西暦一八三五年一月十日)。
こゝは舊豊前中津藩蔵屋敷の長屋跡である。先生の父百助は、一面に於いて、経學者、詩文家であったが、然も、理財の道に精通した循吏であって、金穀會計の俗役に奔命して其生涯を終った人である。彼は妻お順が、大きな、痩せて骨太な五番目の子を産んだ時「これはよい子だ、大きくなったら寺へ遣って坊主にする」と語ったと傅へられてゐる。封建門閥の世に下級士族が其子をして名を成さしめる道はこれを佛門に入らしめる以外にはなかったのであらう。當時に於いて、この子が後年、西洋文明東道の主人となり、封建的観念形態の打破に努力するに至る将来を誰が豫見し得たであらうか。
こゝは舊豊前中津藩蔵屋敷の長屋跡である。先生の父百助は、一面に於いて、経學者、詩文家であったが、然も、理財の道に精通した循吏であって、金穀會計の俗役に奔命して其生涯を終った人である。彼は妻お順が、大きな、痩せて骨太な五番目の子を産んだ時「これはよい子だ、大きくなったら寺へ遣って坊主にする」と語ったと傅へられてゐる。封建門閥の世に下級士族が其子をして名を成さしめる道はこれを佛門に入らしめる以外にはなかったのであらう。當時に於いて、この子が後年、西洋文明東道の主人となり、封建的観念形態の打破に努力するに至る将来を誰が豫見し得たであらうか。
昭和二十九年一月 慶應義塾社中建之
題字 小泉 信三
撰文 高橋 誠一郎
書 西川 寧
題字 小泉 信三
撰文 高橋 誠一郎
書 西川 寧
ということで、次に続きます。